女ふたりのムスターグ・アタ

 脳の中にはいい思い出といやな思い出を貯める場所が別々にあるのだと思う。そして、その命を終える時、いい思い出だけが宝箱をひっくり返したようにあふれでてくるのかもしれない、なんて空想する。本当にそうだとしたら、飛び出してくるたくさんの幸福の中には、きっと今回のムスターグ・アタ登山のシーンも含まれているに違いない。


 


 


真砂美と登ろう

 外国で飛行機から降り立つ時はいつも、機内で乾ききった鼻腔にふわっとその土地の匂いを感じる。まずは目をつぶってできるだけ外の空気を吸い込んでみる。ここカシュガルでは、ほのかに焼けた砂埃の気配が鼻の奥を熱くする。タクラマカン砂漠から風に運ばれてきたものだろうか。


 


 


 

広大な流動砂丘には真の砂の美しさがあるという。今回の登山のパートナー・真砂美の名とシンクロしている。彼女は一足先にベースキャンプ(以下BC)入りしている。

7ヶ月前、「一緒に高所登山をしようよ」と懸命に説得したのは私の方だ。その前の年に一度、彼女と泊まりがけで岩登りに行って以来、どうにも一方的に彼女に惚れ込んでしまったのだ。危険のつきまとう岩登りはただでさえ重い雰囲気になりがちなのに、厳しい状況に陥っても彼女とは終始楽しく過ごすことができたからだ。にもかかわらず、出発前に体調を崩して、私だけ9日遅れの出発となってしまった。


 


 

 

 「女性2人で自立した楽しい登山を」というのが目的だったので、正直言ってどの山でもさほど問題ではなかった。彼女が仕事を1か月以上休めないというので、短期で、しかも安く行けるというので選んだのが、この中国・新疆ウイグル自治区にある標高7546mのムスターグ・アタだ。山名は「氷の山の父」の意。日本からは、北京、ウルムチ、カシュガルと3つの飛行機を3日かけて乗り継いで、さらにランドクルーザーで麓のスバシへと向かう。

 睡眠時間を削っての準備や時差のため、時間の概念にも鈍感になっている。それでも、「ドッグイヤー」の国からやってきた者には、ここに古き良き時代のゆっくりとした時間の流れを感じ取れる。


 

ベースキャンプへ

 4300mのBCで真砂美と再会。翌日、ロバ2頭に登山用具をかついでもらって、キャンプ(以下C)1まで出かける。ロバは車が入れなくなった地点からBCまでの荷物の運搬にも活躍してくれた。やさしげな目でとても愛らしいのだが、鳴くとこれが断末魔の叫びのようでちょっとどっきりしてしまう。

ロバを引いてくれたのはキルギス人の兄弟。彼らは本当に質素な身なりなのに、雪のついている4900mから5200mのC1まで、ロバの代わりに44kgもある私の荷物を一度に担ぎ上げてくれた。


 


 BCでは、私たちの他にスピカという18歳の年若いリエゾンオフィサーが一緒である。中国で登山するときは、このようなお目付役を一人つけるのが決まりなのだが、ただ英語が話せるというだけでカシュガル登山協会から派遣されたウイグルボーイは、経験もなく、他の隊もおらず、私たちが上に登ってしまったあと本当にさびしかったようで、戻ってみると学友のユスフを呼び寄せていた。


 

 BCに着いて4日目、6000m地点にC2設営。順応が不十分な私の状態は、熱は常に37度以上、脈も安静時で120以上ある。翌日は高所特有の頭痛にも見舞われた。高山病で山を登っていると、近い記憶がとりとめもなく脳からこぼれ続けるのだが、時折ふいに悲しい記憶が蘇ったりする。それでもその記憶は自分の身体には留まらず、何の躊躇もなく純白の雪肌に流れ落ち、染み込んでいく。山はどんな心の有り様も受け止めてくれる。

それにしても食欲が落ちないのが唯一の救い。ご飯は力の源、と日本から持ってきた乾燥米をお湯で戻して、海苔やふりかけ、梅干しでしっかり食べ、6700mまで登ってから一気にBCまでおりた。


 

 高所登山のスケジュールには一定のリズムがある。BCはたいてい山頂の約3000m下方に設置し、そこから幾日かかけて自分たちの山での生活道具一式を運びながら、薄い空気に身体を慣れさせ、準備が整ったら一度BCに降りてゆっくり休養し、アタックに備えるのだ。

来たときはBCでもつらかったのに、今はまさに天国。空気が濃い!ご飯がおいしい!テントが広い!洗濯をしたり、おしゃべりしたり、ロバに乗って遊んだりして、思い思いの平和な2日間を過ごす。ここはマーモットのサンクチュアリにもなっていて、あちこちでお尻の大きなねことアライグマの合いの子のような彼らの、好奇心いっぱいのつぶらな瞳がこちらを見つめている。


 

なごみくんとスノーシュー

 翌日からいよいよ2人だけのアタックの始まりだ。朝起きると、BCにも雪が積もっていて少し気持ちがくじける。静かな山をと、わざとシーズンオフを狙ったのだが、本当に誰も居なくなるとやはりさびしいものだ。真砂美と一緒に、雪原に新しい足跡を刻みながらC1入り。

この夜、すごい雷が到来して恐ろしい夜を過ごしたが、翌朝は風もないドピーカン。しかもかわいい事件発生。何やら雪面に四つ足の動物が遊んだ形跡があるのだ。5600m位までその足跡は続いていて、さっぱり何者だか想像つかない。私たちは足跡に"なごみくん"と命名して、大はしゃぎしながらC2入り。生命の存在しない場所で生き物の痕跡を見つけるのはうれしいものなのだ。


 


 アタック3日目は、英国隊が帰り際に「わかんよりこれがいいよ」と貸してくれたスノーシューで大助かり。真砂美と200歩ずつ交替でラッセルして、6800m地点にC3設営。遙か眼下に、夜のとばりがおりたカラコルムハイウェイを走る車の明かりが、人のぬくもりをたずさえて、ときたま通り過ぎていく。

すべてが素晴らしい

 登頂日の朝がやってきた。テントの中で支度をしているときはいつも、何ともいえない緊張感が漂う。高所では靴紐を結ぶのにも、ずいぶんと時間がかかる。

「じゃあ、いこっか」

ひとたび歩き出してしまえば、あとはほとんど会話もなく、自分だけの世界となる。時間もなくなる。足元の白い雪しか目に入らない。息が切れる。一歩、二歩と数えて苦しさを紛らわし、立ち止まっては呼吸を整え、行く先を見る。ただただ無心にそれを繰り返す。

突然、視界が開けた。もう登るところのないその先には、大海原の波のような地球の襞がどこまでも、どこまでも、果てしなく広がっている。

 人は圧倒的な美しさを前にすると、一瞬瞳孔が開き、声も出ず、何も考えられなくなる。五感が総動員されて物事の細部まで感じるのか、スローモーションのように時がゆっくりと流れはじめる。そして次第に笑いとともに感謝の気持ちがこみ上げてくるのだ。


 

厳しい自然が時折かいま見せる地球の姿の、なんと寛容なことか。はかりしれない懐の深さに触れると、自分の心も柔らかくなり、優しい気持ちが満ち溢れてくる。それは、とるに足らない日常さえも愛おしくさせるほどのものだ。いや、ふだん忘れているだけで、本当はとるに足らないものなどないのだ。この世に存在するなにもかもがすばらしい!それを思い出させてくれる贈り物に出会いたくて、私はまた山に登る。

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●登山期間  1999年9月1日〜14日

●アクセス

成田から北京へは、ノースウェスト、中国国際航空など、中国での滞在期間によって選べる。国内線で→ウルムチ→カシュガルへ。各1日要する。パキスタンから国境の峠を越えて入域する方法もある。カシュガルから麓の村スバシ(3,600m)まではランドクルーザーで約5時間。スバシからBCへは徒歩。荷物はラクダかロバで。ロバはC1まであがる。事前に高所順応していれば、カシュガルからBCまで1日で移動可能だが、そうでなければスバシで3泊ぐらいして、近隣の丘で高所順応することをおすすめする。スノーシュー(またはワカン)、赤旗は必携。

●食堂、トイレ

シーズン中ウイグル料理の食堂が開かれる。トイレもある。ただし、隊が少なくなると突然閉じられる。


 


●エージェント連絡先

Mr. Keyoum Mohammad

Kashugar Mountaineering Association

#45 Sports Road Kashgar, XIN 844000 China

Fax  +86-998-2522957

E-mail: keyou-ks@mail.xj.cninfo.net

●登山費用 1,450US$/1人

(登山許可料、ハンドリングチャージ、カシュガル−スバシ間のジープ、スバシ−BC間のラクダ、キッチンテント、BC用個人テント、通訳などを含む)