5.まとめ

 本調査の目的は、フロー体験の概念とピーク体験の概念を用いて、@一般の没入体験の特徴を調べ、没入体験後の効果との関連について検討する、A日頃の没入特性の頻度と自己実現傾向の関係を明らかにする、という2点であった。

 @については、没入体験は一般的に、明確な目標に向かって、時を忘れるほど注意を集中し、行為そのものが目的になるような体験ととらえられており、その体験は快感情と動機づけをうながすことが示された。
 また、体験後にそのような効果を産む要素は、結果にとらわれず行為それ自体を楽しんでいること、うまくいっていると感じられるような、対象とのスムーズな相互作用をともなっていること、行為に注意を集中していることであることが示された。
 さらに、快感情や動機づけにとどまらない深い効果は、ピーク体験のような体験の特別な認知との関連が強く、没入体験が即座に自己の強化や価値観の変容などに結びつくわけではないことが示された。
 また、フロー状態の程度は、性別、年齢、職業の有無には左右されないが、対象となる活動の種類や経験の長さによって変化すること可能性が示唆された。

 Aについては、日頃のフロー特性の頻度は、「充実感」や「自己実現的態度」と関わりが深いことが示された。フローの性質の中でも特に、日頃から明確な目標を持っている人ほど自己実現傾向が強く、加えて自分の行為を統制できる人、「うまくいっている」という正のフィードバックを得ている人ほど、充実感を感じていることが示唆された。


 これらのことを考え合わせると、一般的に没入体験は快感情や動機づけをともなうものであるが、それを自己の成長をともなうような体験にまで深めるには、一方的に対象に働きかけるのではなく、対象との相互作用に惜しみなく心理的エネルギーを傾け、その中から得られる身近なフィードバックをもらさず受け取るような感知力を意識的に高めていくことが必要であると思われた。その結果、おのずと対象との相互作用がスムーズに行われるようになり、その体験が後に内省されたときに、効力感や自己肯定をともなうような喜びを生み出すのではないだろうか。

 本レポートの冒頭で、「『没入』とは、なにかに没頭したり、熱中している状態のことで、そのときやっていることや目の前で起こっていることに、心がとどまっている状態」と定義した。しかし、修士論文の執筆を終えて思ったのは、心が「とどまる」というより、対象との相互作用のなかに心が「はいりこんでいる」状態といった方が適切かもしれないということである。「はいりこんでいる」のは、自分自身の意識である。そういった意味では、没入とは自分だけになった状態、言いかえれば、自分のなかに対象を取りこんだ状態ともいえる。

 このことは別の側面から見れば、思考を中断して、感覚を優先している状態ともいえる。没入状態においては、行為に直接関わる感覚は鋭くなり、そうでない感覚については鈍くなることが著者のインタビュー調査※によって明らかになっている。感覚はもちろん自己のものであるから、たとえ行為の最中に自己をふりかえることがなくても、のちに自分自身の行為として強く認識されることになる。だからこそ、その状態を快いと感じ、没入から醒めた後により自己感覚が強く現れるものと思われる。

 こうして考えると、没入体験とはただ集中している状態を指しているのではなく、集中の過程で環境の把握の仕方が極めて受動的になり、眼前あるいは意識内に広がる世界に柔軟に応じることによって、環境との相互作用がスムーズに行われている状態を指しているように思われる。その過程、あるいは環境に働きかけて、受容された感じが、一体感や快感情などの内的な報酬をもたらすのではないだろうか。環境とのスムーズな相互作用を行うには、過去や未来はいったんおいて、いま目の前にある対象に関わるものすべてにエネルギーを傾ける必要があることから、没入と内省の繰り返しが人を成長へと導くと思われる。

 さらに考えられるのは、没入体験とは、ある方向性をもった行為の中で、心理的エネルギーのすべてを対象に集中した結果、物事を他との比較においてとらえなくなった状態なのではないかということである。他との比較とは、自己の外部にあるもの同士の比較だけでなく、自己のうちにある過去のレッテルやそこから生まれる未来の予想との比較も含まれている。
 言語に置きかえて考えてみると、外国語に不慣れな者が外国語を聞いたとき、頭の中でいちいち母国語に翻訳して理解しようとするが、熟練者は反射的に外国語をそのままの形で意味をくみ取ることができる。この母国語の部分が、自己のうちにある過去に作られた概念といえないだろうか。
 通常の状態では、外部環境の把握は自己のうちにある概念と照らし合わせることによっ行われているが、没入状態では、現象を比較も判断も評価もせず、そのままの形で受け入れていると考えられる。だからこそ、没入体験は過去の経験を超えて、新しい視点を運んでくる手がかりになるのかもしれない。もちろん、有機体として過去の経験をふまえて効率よく情報を束ねていくことは重要なことであるが、それもいま目の前で起こっていることを正しく把握できてこそ、役立てることができるのである。

※インタビュー調査・・・修士論文の第4章で、自己実現的な活動に従事する15名にインタビューを行い、没入体験の内実を明らかにすることを試みた。その結果、彼らの没入体験はフローの要素の多くを満たしているほか、没入と冷静さが共存した状態であること、事前の動機づけや経験・熟練と関わりがあること、行為に関わる感覚が鋭くなり、そうでない感覚は鈍化すること、行為の最中に対象との相互作用が行われていることや一体感が得られていること、その体験はたびたびふりかえられ、没入感覚に動機づけられていることなどが示された。


【引用文献】

 ・Csikszentmihalyi, M., 1990, Flow: The Psychology of Optimal Experience.
  New York : Harper & Row.
  (訳)今村浩明(1996)フロー体験―喜びの現象学 世界思想社

 ・Csikszentmihalyi, M., 1975, Beyond Boredom and Anxiety: Experiencing Flow
  in Work and Play. San Francisco : Jossey-Bass.
  (訳)今村浩明(2000)楽しみの社会学 改題新装版 新思索社

 ・Maslow, A., 1968, Toward a psychology of being Second Edition, New York : Van
  Nostrand.
  (訳)上田吉一(1998)完全なる人間 魂のめざすもの 第2版 誠信書房