2000年6月、長い間私を見守ってくれていたパートナーと籍を入れた。その後2ヶ月もたたないうちに、友人とキルギスタンのレーニン峰(7,134m)へ向かう。私がいない間、同居している義母がパートナーの食事を見てくれる。実父母も含め、理解ある人に囲まれることが、どんなに幸福であるかを思わずにはいられない。自律した人は、他人の自律性を支援してくれる。しかし残念なことに、そんな身内を心配させる結果となってしまった。
 キルギスタンは中央アジアの東の端にあり、レーニン峰は旧ソ連邦第三の高峰である。迂闊にも遠征を決めた後になって、前年に日本人人質事件があり外務省渡航自粛勧告が出ていることを知った。その為、一旦は遠征を取り止めようと思った。


 しかし、現地をよく知るという日本の手配会社が「問題ない」と太鼓判を押すので、行くことにしてしまった。やりたいことがあると、どうしても楽観的な予測に期待しがちである。
 現地に行ってみれば、ゲリラ問題があるとは思えないくらい平和で、子供たちが馬に乗って外国人の乗った車を見に来たりする。ところが、最終キャンプを設営し、あとはアタックするのみという段になって、いきなり現地エージェントに連れ戻されてしまった。近くで外国人拉致事件が起こったというのだ。そうはいっても他のエージェントを使っている隊は遠征を続行しているし、腑に落ちない気持ちを抱えたまま日本帰る羽目に。
 真相はいずれにせよ、今後山以外のリスクは決して負うまいと心に誓ったのだった。