1999年9月12日、私と友人のマミは誰もいないムスターグ・アタ(7,546m)の絶頂にたたずんでいた(写真右の峰)。出発前に体調を崩し、パートナーから10日も遅れて現地入りしたため、ぎりぎりの高所順応でのアタックとなってしまった。なかば意識が朦朧とした中、頂上のマミの姿と真っ白い急峻なカラコルムの山々が目に飛び込んできた。高山病の出方は様々である。身体的には二日酔いの症状とよく似ているのだが、精神的にも不安定な状態に陥る。近い記憶がとりとめもなく脳からこぼれ続け、ときおり悲しい記憶が蘇ったりもする。それでも、その記憶は身体の中に留まらず、何の躊躇もなく白い山肌に流れ落ち、染み込んでいく。山はいつでも鷹揚な愛で満ちあふれている。

天国のような大草原の中を、荷物を積んだロバと一緒にぶらぶら歩く。長い緊張感が解けたせいか、何もかもが光り輝いて目映く感じる。麓の村まで下りてくると、子供達がたくさん集まってきた。女の子はなぜかみんな赤い服を纏っていて、とてもお洒落だ。土でできた家の内の一軒に招かれ、ヤクミルクとパンをふるまわれる。お土産にと、瑠璃色に光を封じ込めたようなビーズのネックレスをくれた。鷹揚な山が鷹揚な民をつくるのだろうか。写真は、ベースキャンプからキャンプ1までロバを引いてくれたキルギス人の兄弟。人民服を着た彼らは、雪でロバが登れない標高差300mもの間、44kgもある私の荷物を担いでくれた。こちらは途中で雪用のブーツに履き替えたというのに、なんという強さなのだろう。