1997年7月17日、いまだ夜のとばりがおりたままの最終キャンプ(7,400m)を出発した。私は、初めての8,000m峰パキスタンのガッシャーブルムUの頂へと向かって、唯一つの明確な目標に自分のすべてを集中できる幸福をかみしめていた。どうしようもなく生きていた。それはまさに、ほかならぬ自分の意志によって進む道を選んでいる、という実感の連続だった。
この写真は、そのときすぐ隣に鎮座するガッシャーブルムT(8,068m)が朝暘に輝く様を写したものである。この偉大なる地球の皺は、一千万年以上もそこにあり、これからもずっとそこにあり続ける。ヒマラヤの峰々に比べると、人の命はとても壊れやすく、謙虚さを忘れずにはいられない。

50mほどのナイフリッジを恐る恐る渡り終えると、突然反対側の風景が飛び込んできた。8時45分、頂上だった。急に熱いものが込み上げてきて、しばらく声を出して泣いてしまった。うれし泣きをしたのは、生まれて初めてだった。山の頂からは、目でそのラインを確認することのできないインドや中国との国境、10日間かけて歩いてきた氷河のうねり、世界第2位の標高を持つK2(8,611m)などを望むことができた。
この写真は、その歩いてきたバルトロ氷河を写したものである。右下の小さな黒い点は、私たちの荷物を運んでくれる現地の方々。一見、時を止めたかのように見える氷河は、ゆっくりと確実に下流のインダス川へと向かっている。人間の五感で感じられなくとも、自然の営みはただ行われている。