笑顔で初めての本格的な登山を

Glacier Mountaineering

 各セクションのフィールドは、いつも前日までわからないのだが、今回は「ここだったらいいな」と思っていたところだ。
 アルバータ州のジャスパー国立公園とバンフ国立公園、そしてブリティッシュ・コロンビア州に300平方キロにもかけてまたがる「コロンビア大氷原」。北極圏を除けば北半球最大の氷原だ。ここから流れ出す無数の川は、北は北極海、東は大西洋、西は太平洋に注ぎ込み、まさに大陸大分水嶺。その平均標高は3000mで、氷の厚さは最大365m。最高峰のコロンビア山(3747m)をはじめ、ロッキーの1100フィート(3353m)以上の山30座のうち、13座もこの氷原に集中しているという。
 今回の氷河登山セクションの目的は、氷河地帯の歩き方、クレバスレスキューを中心に、滑落停止や様々な雪上確保の仕方、ミックスルートのロープワークなど、雪山の基本技術の習得し、アイスフィールド・パークウェイから見える印象的な山、アサバスカ(3470m)に登ることである。
 コロンビア大氷原から流れ出すいくつもの氷河の一つ、アサバスカ氷河は、アサバスカ山の西側に、道路に向かってまっすぐのびている。よって、誰でもその姿を見ることができ、氷河の末端には観光用のスノーコーチも入っている。この氷河は、幅約1km、長さ5.3km、標高差は600mで、途中3段のアイスフォールがある。コロンビア大氷原の端からアサバスカ氷河の先端まで氷が移動するのに150年もかかるそうで、アサバスカ的時間は実にゆっくりと流れている。
 ここで氷河の歩き方やアイスフォール地帯の通過の仕方を学んだが、その中は青く光るセラックが屹立しており、激しくうねる大海原の時を止めたかのように神秘的だ。危険なところが比較的はっきりしているアイスフォール帯より、実は平坦な部分の方が危険で、一見何もないように見える大氷原の下には無数のヒドンクレバスが隠されている。一歩一歩足を踏み出す前に、必ずピッケルを刺して確認しても、大きなもので深さ30mもあるクレバスに落ちる可能性はあり、数人でロープを結び合って安全を確保する。実際、簡易確保をした上でだが、インストラクターのマイキーでも腰まで落ち、ゾッとさせられた。
 アサバスカ登山はみんなが楽しみにしていた一大イベントである。その日は、まだ夜の明けない3時30分に標高約2000mの麓を出発。ノーマルルートは優しいながらも変化に富んでおり、飽きさせない。クレバス帯を迂回し、懸垂氷河や大きなベルクシュルンドの下を通り抜け、山の肩に出たあとは一路稜線をつたう。6時間で全員が風雪で何も見えぬ頂上に立った。そこには何か目印があるわけでもない。それでも、周りで一番高そうなナイフリッジにもたれかかったみんなの顔はほころんでいる。ほとんどのハードビギナーズにとって初めての本格的な登山であろう。これで彼らも雪山のとりこ。もはや山の魅力から逃れることはできない。合掌。

熊と人間が共存する王国で・・・

Rock Climbing

 岩登りの魅力とは。人それぞれだろうが、私にとっては日常では経験できない"集中力"にある。一見、ツルツルに見える岩壁も、よーく探せば足の先や指を引っかける場所が必ず見つかる。この時の集中力といったら、落ちるのが恐いものだから、それはすごいものがある。落ちそうになると、「大丈夫、落ちない。大丈夫、落ちない。」と心の中で念じ、心拍数が急激に上がりそうになるのを必死で抑える。なんと、こちらのテキストにも積極心理法というのが載っていて、「Yes, I can. Yes, I can」と唱えろと書いてあるではないか。みんな同じなのである。他にも「特定の色(ピンクなど)を思い浮かべろ」とか、「鼻先の結晶の信じがたいほどの美しさに感嘆しなさい」というのまであって笑った。
 ロックセクションのベースは、トウヒと新緑の美しい白樺に囲まれた「Bow Valley州立公園」のオートキャンプ場。こんな人里近くでも、いや人里近くだからこそ、クマ出現。テントでくつろいでいたら、みんなが血相を変えて「ユミ!ユミ!」と呼ぶので、何事かと外へ出てみると、隣のテントサイトになにやら黒い動物が・・・。それでも食料を車にしまってテントで寝るのだから、いやはや本当にクマと人間が共存している国だと驚かされる。
 ここからは車で10分から1時間の間にあらゆる岩質のゲレンデが揃っており、なんともうらやましい環境だ。キャンモア、バンフ、レイクルイーズを中心に登りまくる。キャンモアのヤムナスカ山の下部には、初心者トレーニング用のゲレンデがあり、ここでナチュラルプロテクションによるアンカー作りの基本を学ぶ。当然、自分で作ったアンカーで懸垂下降をさせられるわけだが、これは慣れていないとめちゃくちゃ恐い。きっと上達すれば、逆に自分の作ったものしか信用できなくなるのだろう。
 レイクルイーズは、その景観もさることながら、しっかりとした花崗岩の感触が気持ちいい。そこだけで一冊のガイド本が出ているほどルートも豊富だ。ここにはクラックもあるので、トップロープで安全を確保した上で、ナチュラルプロによるリードのシミュレーションをする。降りる途中、わざと確保しているロープをたるませて落ちてみるハードビギナーズも。これはいい練習だと関心。
 11日間の講習のうち、2日はマルチピッチデーになっており、インストラクター1対生徒2で7〜9ピッチの岩壁を楽しむ。パートナーになったタムシンは、岩登りは初めてにもかかわらず、その身体の柔らかさ、リーチの長さ、腕の力の強さ(女性ながら懸垂ができる)でアッという間に上達し、一緒に5・10bのマルチピッチを登ることができた(もちろん核心はインストラクター、ジムのリードだが)。やはり才能なのか。
 ベースがオートキャンプ場だったため、おまけもいろいろあった。北米ではこの時期、6月末の優勝決定戦に向けてアイスホッケーが熱い。講習中にもかかわらず、ジムを筆頭に、みんな毎夜のようにスポーツパブへと繰り出す。客がモニターの動きに合わせて、揃って一喜一憂している姿がほほえましい。こちらのスポーツパブは、たいていアーリーアメリカン調。白い半袖の開襟シャツに黒のミニスカート&エプロンのかわいいウェイトレスが忙しく愛想を振りまき、床にはみんなが食べ散らかしたピーナッツの殻が散乱している。私ももう少し若かったら、こういう明るい酒場でタイトミニを履いて働いてみたかった。

これぞ山歩き!と満喫する

Expedition

 さて、最後のセクションは、すべて生徒だけで計画するエクスペディション。そういうわけでとても楽しみにしていたのだが、今年の冬は例年にない大雪だったため大規模な雪崩の危険が大きく、結局氷河があるような所には行けなかった。みんなの多数決で、歩荷をしたい私の意見はことごとく否決され(そりゃそうだ)、初日はアイスクライミングの時に滞在したランパートクリーク近くの3000m峰を目指す。しかし、そこでも2時間くらい登ったところで目標の山が見えたとき、「雪が腐っているうえ、天気予報はさらにこれから暖かくなるといっているが、You guys, どう思うか?」とマイキーからサジェスチョンがあり、急遽断念。結局、ショートロープの訓練になるという 「Ghost River Valley」に移動した。
 そこはキャンモアのずっと裏にあたるところで、大好きな雪がほとんどなくがっかりしたが、まぁ、歩荷訓練を自主的にすればいいやと思い直し、ザックに石を入れて歩いていると、同期の男の子に「シリアスマウンテニアー」と皮肉混じりに言われる。自分では逆に快楽主義者だと思っている。本番で余裕を持って山を楽しみたいから、普段いやいやトレーニングしているだけである。今の私の本番とは、このコース終了後に計画しているアラスカのデナリ。カナダに来る直前、きっとこの3ヶ月のコースだけでは物足りないだろうと思い、アラスカのレンジャーステーションにソロで申請しておいたのだ。
 そのことを同じグループのヒデに話すと、「自分も行ってみたいと思っていた」と言うので、一緒に行くことにした。デナリは4300mのベースキャンプに着くまではヒドンクレバスがたくさんあるので、パートナーが見つかって一安心。同期と仕上げの実践ができるというのもとてもワクワクすることである。
 そんなわけで、43kgの体重がネックとなる私は、重荷に慣れておく必要があるのだ。
 Ghost Riverの中州にベースキャンプを作って(川はちゃんと涸れてます)、2日目はBlack Rock Mountain という2400mくらいの山へ、3日目、4日目は East Phantom Crag(東の幽霊の岩山)、West Phantom Cragで、登山靴による岩登りと残置のない岩場でのロープ操作を経験をする。この前人が来たのはいったいいつだというくらい浮き石だらけで、ホールドをたたいて確実にチェックしながら登る。Ghost Riverの山はどれも名前からしてオドロオドロしいが(Devil's Headという山も近くにあった)、全体的に2000m位から上は切り立った岩峰で、頂上は平らという姿からそんな名前が付いたのだろう。
 ずっと雨にたたられ、ファイナルにしては物足りないせいもあってか、みんなのモチベーションは低い。今まで本格的に山を登っていないハードビギナーズが、いきなり3ヶ月間ほとんどテント暮らしをしてきたのだから、精神的な疲れも出ているのかもしれない。故障して棄権している者も2人いる。ずっと2つの小グループに分かれて行動していたのだが、3日目など私以外、グループの誰も起きてこず、まさかのプライベートレッスン。
 カナダの山のアプローチは、親切すぎる標識の類は一切無く、踏み跡も不明瞭なので、まさに地図と周りを見ながらルートファインディングをしていく楽しさがある。この日も、生い茂ったモミの木をかき分け、じゅうたんのように柔らかいコケを踏みしめ、途中けもの道を見つけたりして、「これぞ山歩き!」と実感できた。
 最終日は、フィナーレにふさわしく絶好のお天気となり、Bow Valley に移って、 Shaughnessy Ridge という岩稜帯歩きを楽しんだ。左右が切れ落ちた岩稜の頂から、どこまでも続くカナディアンロッキーが見渡せ、とりあえずみんな満足そう。当然、その日は、明るいうちからキャンモアのクラブハウスでビッグパーティーとなり、誰が考え出したのか、ビールを樽ごと買ってきて、そのホースを口に入れたまま逆さ吊りにし、何秒飲み続けられるかという、まるで大学時代に戻ったかのような騒ぎとなった。
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 いまごろみんな、いきなり現実の世界に戻って妙な感じがしているかもしれない。今はEメールという便利なものがあり、少しずつみんなのうわさも聞こえてくる。ヒデは私とデナリを登ったあと、ワーキングホリデーでそのままカナダに残り、一週間と空けずヤムの同期生を連れだし、ロッキーを登りまくっているそうだ。過激にも、本格的に山を登ったことのないクラークとレーニア山のリバティリッジにも登ったというから驚く。
 デナリ登山後にバンクーバーで会ったクリスティは、ロッククライミングのギアを一式揃えていた。医者のタムシンはオーストラリアに渡り、病院に勤めながら次の休暇でニュージーランドのMt. Cookを登るべく、クライミングに精を出している。アウトドアスクールに向けて就職活動をする者、なぜかオーストラリアの小学校でボランティアをしている者、ヤムのメンバーでレイドゴロワーズに出ようという計画もあるらしい。私も、すでにハードビギナーから脱しつつある彼らに負けてはいられない。
 このコースを終えて、基本をもう一度なぞることと、英語の鍛錬という最初の目的以外のプレゼントに気がついた。ふだん山を登るときは、インプットしながらも、どうしても"登頂"というアウトプットを考えざるをえない。インプットだけに専念できる時間が持てたという意味でも、とても貴重な92日間だったのだ。(終わり)