理屈抜きで、本格的な恐怖を

Whitewater Canoeing

 山岳コースになぜカヌーがあるのか不思議に思われることだろう。ヤムナスカのミスター難波に理由を尋ねると、
「3ヶ月間、山やスキーばかり続けていると、膝などの故障を起こす人が多いのです。まぁ、ブレイクだと思ってください。みなさん、コースを終わられた後、カヌーがあって良かったとおっしゃいますよ。それにカナダでは、カヌーはとてもトラディショナルなもので、外すわけにはいかなかったのです」との答え。
「そーか、ブレイクか。確かに右膝も痛んできたことだし、そんならそれで楽しもうではないか」と、鵜呑みにしたのが大間違い。ブレイクどころか、一番辛いセクションとなることが、早くも3日目に判明する。
 カヌーセクションは、2つのパートに別れており、前半9日間はカヌーの漕ぎ方(パドルの使い方)のトレーニング、後半5日間は川下りの旅に出る。私は、カヌーについてはその姿も定かに想像できないほどドシロウト。セクションが始まってようやく、カヌーというのはシンプルな小舟に膝をついて座って、片方だけ水かきの付いたパドルで漕ぐものだとわかった。
 腰から下が船体の中にすっぽり入っていて、両端に水かきが付いたパドルで漕ぐやつだと思っていたが、あれはカヤックと言っているようだ。われわれは、基本的に長さ5m弱の2人乗りのカヌーを使う。
 初日、「ロッキーマウンテンカヌースクール(http://rockymountainpaddling.com)」からカヌーをこよなく愛する、にぎやかなおじさんが2人やってきて、カヌー、パドル、ライフジャケット、ウェットスーツなどをじゃんじゃん貸してくれ、キャンモアの近くの池に浮かべられて、前、後ろ、回転など基本的なパドルの使い方をどんどん教えられる。底の小石が1つ1つはっきり見えるほど、水が透き通っている。
 われわれの他には釣り人が数人しかいないが、日本だったらファミリーでごった返すことだろう。ブイで陣地を作ってドッヂボールをするなど風も流れもない水の上で、「おっ、これはけっこう楽しいぞ」と、この時は思ったのだが…。夕刻になると、キャンモアとカルガリーの間にある"ゴースト"という地名の、ガソリンスタンドに併設されたオートキャンプ場に連れて行かれ(その名の通り、周りにはなんにもない)、「今日からここで9日間キャンプしなさいね」と、うむを言わせずテントと食料を渡される。キャンモアの方が川から近いのに、費用節減としか思えないが、なだらかでだだっ広い牧草地のずっと向こうに、小さくさざ波のように連なるロッキーには心を打たれる。夜はスクールの教室で、カヌーのビデオを見てお勉強。以降、夜な夜な2本は見せられたが、これは洗脳に違いない。
 翌日は、昨日と同じ池で練習をした後、フラットな流れのボウ川に移って、流れを対岸に渡る練習(フェリーという)をした後、そのまま数キロ川下りをする。この川は雪崩講習の時に横切ったボウ・レイクから流れ出し、他の川と合流したり、湖を経たりして、遙か東のハドソン湾にそそぎ込んでいる。チャプチャプと、水面からトウヒや白樺の林を眺めながらの川下りはそれは楽しく、ホビーとしてカヌーの購入を考えてしまうくらいだった。
 そして3日目。初めて(生徒の中でも初めて)川に落ちてすべてが暗転する。本日はボウ川の放流されているダムの下で(その貯水池はまだ凍っている!)フェリーの練習をしていたのだが、川の渦から速い流れに突っ込む角度が悪く、アッという間にバランスを崩して、川幅がひろーく、底の見えないふかーい川に投げ出されてしまった。
 忘れていたが、私はあまり泳ぎが得意ではないのだ。心臓が「ひゅっ!」と縮み上がり、胸が苦しくなるほど水は冷たい。ウェットスーツを着ていなければ心臓麻痺を起こしたのではと思ったほどだ。溺れそうになり(実際はライフジャケットを着ているから沈まないのだが)、カヌーとその日のパートナー、ヒデを裏切って、パドルだけは何とか放さず必死で岸まで泳ぐ。その瞬間はクリニックのために撮影していたインストラクターのランディのビデオにバッチリ収まっており、夜は何度も巻き戻されては笑い者になる。
 4日目以降、カヌーセクションが終わる日を指折り数えながら待つ日々が始まった。ブレイクとタカをくくって予備知識を全く仕入れておかなかったため、まるで基本がつかめない(多くの原因はヒヤリング力のなさによる)。左右パドルを持ち替えたり、座席を前後にチェンジしただけで頭が混乱してわけがわからなくなるのだ。
 ソロカヌーの練習の日など、風に流されたりしてもたもたしていたら、同じく水に恐怖感を持つアンジェリクとともに、棄権を申し渡されてしまった。夜に市民プールを借り切って、転落防止のパドルの使い方と、ひっくり返ったカヌーをレスキューする訓練をした時だけは、ジャグジーにつかることもできて(日本出発以来シャワーだけだったのだ)ごきげんだったが、あとはもう、本気で脱走を考えてしまうくらいの涙の日々。また落ちるかも、という恐怖心が先に立ってしまい、水にパドルでアクションを起こすこと自体恐ろしくなっているのだ。
 人の好みというのはおもしろい。同じ下手でもスキーなら、どんなにひどい転び方をしても「クソーッ!」とますます燃えるし、エクストリームスキーのビデオを見ても「いつかは!」と憧れを抱くのに、カヌーは一度の転落でマインドが萎縮し、カヌーロデオのビデオを見てもクレイジーとしか思えない。エクストリームスキーをクレイジーとしか思えない人もいるわけで、これはもう理屈抜きで本能的なものなのだろうな。

穴場的な露天風呂ですっかり満足

River Trip

 もともと喉元すぎれば熱さ忘るるタチの私は、数日落ちなかっただけでリアルな恐怖感を思い出せなくなっていた。この性質の良い面は立ち直りが早いことだが、悪い面としては同じ失敗を繰り返すというのがある。できれば、このまま思い出したくない。
 準備デーにウェットスーツやヘルメットの貸し出しがなかったので、そんなに難しい川じゃなかろうとふんでいた。確かに一般的にはeasy riverだろうが、私にとっては少しでもホワイトウォーター(流れが急で白波だっているところ)があればcrazy riverだ。さて、初めてのカヌー川下りの旅は、ロッキーの西側に緩やかな山稜と深い森林が拡がる「クートネイ国立公園」のクートネイ川。全行程140km、標高差約400m。今回、友人のお葬式とかで24歳のクリスティーが欠席なのだが、28、29、30歳の残りの女性だけだといやに静かだ。この3人は以前、18歳の男の子に「3ancient」と言われ、内心ケリを入れてやろうかと思ったが、やはりはじけているのは20歳代前半までと悟る。
 クートネイ川の支流、バーミリオン川を出発。「水面から見る景色は何もかもが新鮮」などというマスコミのうたい文句にかすかな期待を抱いていた。確かに、次々に現れる雪山の地形を「このクーロワールは登れそう」、「あのリッジはどうだろう」などといろいろな角度から観察したり、パートナーとおしゃべりしたりするのは楽しい。しかし、実際は車の運転と同じで、そうそうよそ見していられない。
 時速はだいたい5〜6キロだが、流れの緩やかなところに来ても、気を抜く間もなく、すぐ前方に白波だった急流が出てくる。不器用な私は漕ぐのも合わせてどれか一つしかできないので、非常に忙しい。本日の核心、ヘクターゴルジュでは、あろうことか水面から大きな石がいくつも飛び出しており、一瞬ひっくり返りそうになってひやっとした。一日が終わると、上半身が極端に貧弱な私の腕はもうパンパン。「これも必ずやクライミングに役立つことだろう」と、自分を慰める。
 2日目、昨日の終了点から舟を出す。なんだか「カヌー」というおしゃれな響きより、私には「フネ」という方がふさわしいような気がする。漕いでいる時も、あまりの重労働につい「エンヤートットッ」と口ずさんでしまうのが情けない。
 本日は昨日ほどの難関はなかったが、やはり遠くに白いものが見えてくると、そのたびに肩と歯に「グッ」、「ギッ」と力が入ってしまう。ただ流れているように見える川も、実際その上を通ると、ほんのちょっと狭くなったり、川底の様子が変わったり、曲がったりするだけで、急に流れが速くなったり、うねったりして目まぐるしく状況が変化している。
 一日が終わると、適当な広い川原に舟を上げて、川岸の調理場から100m以上離れた所にテントを張る。もちろん、残飯目当てにやってくるかもしれぬ熊対策。川遊びの目玉は、なんといってもたき火。薪になる流木には事欠かず、火事になる心配もない。ランディは必ず跡形もなくたき火の痕跡を消す。次に来た人に初めてそこを訪れた人間であるような気分を味わってもらうためだ。揺らめく炎はなぜか緊張感をほぐし、気持ちを和ませてくれる。
 ここでちょっとカヌーのいでたちを紹介しよう。服の上に雨合羽を着込み、足には靴下の上にドライソックス(ただの黒いゴムの靴下)、その上にカヌーブーツは持っていないので、渓流シューズ。手には台所用のゴム手袋。そしてその上に大事な大事なライフジャケット。こんなあり合わせの格好でも、ランディに2つもほめちぎられる。まず、渓流シューズ。こちらには靴底がフェルト地のものがないらしく、「これはスゴイ!」ということになった。もう一つは「ナイスピンク!」と絶賛されたただのゴム手袋。カナダのものはみんなレモンイエローで、ピンクが珍しいらしい。人間目新しいものはよく見えるものだ。
 食料は防水のタルに、個人装備はゴミ袋でしっかりパッキングして、水に浮かべてもカヌーが水平になるように真ん中に積み込む。
 3日目、前を走っていたアンジェリクとレイのカヌーが、この旅初のフォールをやらかし、「やっぱりウェットスーツいるじゃんかよぉ」と、またまたマインドが冷え込んでしまう。筋肉のキの字もなかった二の腕に、いつのまにか力コブが出るようになったことが唯一の救い。
 残すところあと2日。今日はハンサムなレイと組むことになるが、申し出る時、「ユミ、今日のパートナーはオレだ。なぜならあと残っているのはユミがすでに組んだことのある人だけだからだ」と、いちいち言い訳する。よっぽど一番下手な私と組むのが嫌なのか。しかし、彼の恐れはすぐ現実となる。パリサー川との合流地点に激しいうねりが出来ており、ひたすら必死になって漕いでいた私は、大きなホールの所でバランスを崩し、舟もろとも転落。パドルもカヌーもハンサム君もすべて見捨て、水を飲みながらも何とか岸に泳ぎ着く。
 それでも最初の時と違って水が冷たくなく、天気もよかったので、それほどの恐怖感は残らなかった。が、レイにはのちのちまで「あの時のユミはスバヤかった」といじめられることになる。
 個人的都合により、"恐"とか"怖"という字を乱用してきたが、手つかずのウィルダネスを楽しむなら、川遊びが一番だろう。川原でキャンプしながら何日も川を下っていると、ドラマティックな場面にいくつも出会うことができる。メスの若いムースが川に降りてきて、われわれが通り過ぎるのをジッと見ていたり、ジブラルタルロックという奇石のある神秘的な場所が出てきたり、ついに本物のクマが水を飲みに現れたり!
 とはいえ、最後の夜、ランディとの懇談では「もっとパワーと時間と英語力が必要」という、アドバイスになっていないアドバイスを受けたが、今後パドルを握る機会があるかどうかは疑わしい。すっかりチキンになってしまった私だったが、最終日はごほうびに「LUSSIER RIVER HOT SPRINGS」という、脱衣所も何もない穴場的露天風呂に連れていってもらい、すっかり満足。終わりよければ全てよしだ。(つづく)