This is a life!



 「This is a life!」 --- 『Rock & Snow』の読者のみなさんだったら、様々なフィールドでこんな心境に出会うこともしばしばではないだろうか。

 今年3月から3ヶ月間、カナダの登山スクールに参加した。いっしょに講習を受ける11人の生徒は、18歳から20歳代前半が中心。ジェネレーションギャップかカルチャーギャップか定かではないが、最初はいろいろなことに面食らった。気づけば私も30歳で、周囲は年上ばかり。今回は北米の若者文化(この言葉を使うこと自体オバサンの証拠だ)に触れる貴重な機会となった。といっても、こんなコースに参加する者の集まりというだけで、ごく狭い世界の話と言えるのかもしれないが・・・。

 彼らは遊びの天才で、野外講習中少しでも時間があくとすぐに遊び始める。雪があれば雪合戦、川原では石投げ競争。オートキャンプ場では、フリスビー、ホッキーサックからギターまで。ホッキーサックとは、お手玉のようなものを地面に落とさないように脚で蹴って遊ぶものだが、カナダのアウトドアショップのレジ横には必ず置いてあり、「これをやらなきゃ山ヤとはいえないね」と言われたたが本当だろうか。

 だいたい1週間前後の野外講習のあと、寮代わりのカナダ山岳会クラブハウス(会員になれば一泊15ドル。カナディアンロッキー探訪のベースとしておすすめ。所在地はアルバータ州キャンモア)に戻ってくるのだが、まず、朝からヴォリュームいっぱいにして流されるパンク系のファンキーな曲で目が覚める。リビングの床にはポテトチップが食い散らかされ、昼からビールは飲むわ、ところかまわずオナラはするわで、まるで男子寮にいるようだ。

 若い彼らは好奇心旺盛で、すぐ「これは日本語で何というのか」と聞いてくる。感心するのは、すぐ覚えて日常生活で使い始めることだ。翻訳はもっぱら、グループにいるもう一人の日本人ヒデの役目だったが、「スカシッペー」「ムネサワテモイイ?」など、しょーもない日本語が飛び交う。でも名前を日本語で紙に書いてあげると、ノートに一生懸命写し取ったりするところがかわいい。

 団らんになると、ひとりが派手なゼスチャー付きでしばらく語り始め、最後にオチで締めてみんながどっと笑う、という場面がよくあった。これも日本では見られない光景だ。

 レンタルビデオショップで借りてくるのは、ほとんどがB級コメディか、エクストリームスキーまたはスノーボードのビデオクリップ。今まであまり見たことはなかったが、エクストリーム競技のあまりのすごさにガクゼン。彼らは20歳前後の若さで、われわれが滑落や雪崩を恐れておそるおそるクライムダウンするようなところを、雪崩を起こしながら飛んで飛んで飛びまくる。うーん、価値観の変換を迫られるなぁ。行きはヘリを使っているようだが、自分の足で登ったところを、ああやって滑り降りられたらどんなに気持ちいいだろう。しかし、彼らはジャンプするとき、どうやってその下の危険を予測しているのだろうか?予測していないのかもしれない。

 カヌーセクションのときには、カヌーロデオのビデオも見たが、これはまたキワもの。自ら激流に飛びこみ、滝を飛ぶ。失敗して岩にぶつかった顔から血を流しながらニヤッと笑うカヤッカーの姿も。

 何か根本的に違うのだ。

 先日、NHKの「驚異の小宇宙 人体V 遺伝子・DNA」という番組を見ていて、正解らしきものを見つけた気がした。ある特定のタイプの遺伝子をもっていると、目新しいことや危険なことに引きつけられたり、不安がる傾向が強くなったりするというのだ。大方の予想を裏切らず、日本人は好奇心遺伝子が長い人は非常に少ないらしい。そして、不安遺伝子を1つでも持つ人は、アメリカ人の67.7%に対して日本人は98.3%だという。まあ、育った環境の違いもあるし、一概に決めつけるわけにもいかないだろうが、これはおそらく山の世界でもみんながうすうす感づいていた日本人と欧米人の違いではないだろうか。少ないとはいえ、わが国の山ヤには好奇心遺伝子の長い人が一般より多そうな気がする。統計を見たことはないのでわからないが、不安遺伝子の存在がより慎重にさせ、そういった日本の山ヤは欧米人に比べて事故に遭いにくそうだ。

 で、「This is a life!」である。ヒデは、「幸せだ」と訳した。そりゃ日本人はこっ恥ずかしくてとても「これぞ人生!」と雄叫びを上げることはできないだろう。なかなかスルドい訳だ。とたんに、パフパフのパウダースノーに思い思いのシュプールを刻みながら、「シーアゥワセダー!」と叫ぶ若者たち。困ったことに、自然からなんらかの感動を受け取るたびに、私の胸には(幸せっ♪)ではなく、(シーアゥワセダー)という変なイントネーションの日本語が浮かぶようになってしまった。「This is a life!」と臆面もなく叫べる彼らは、小難しいことは何も考えず、ただ純粋にその行為自体が楽しくてやっているのに違いない。あやかりたい。